超個人的読書記録 ――時間のある時のみ感想も(ネタバレ注意!)
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中島梓
純文学をはじめ、演劇、少女小説などを題材に中島梓が文学の今を鮮やかに斬る。
不思議の島のガリバー/ガリバーばななを読む/欲望という名のファンタジー/新人賞、今日はどこまでいったやら/1960年のゲートボール/ムラカミは電気ヒツジの夢を見るか/少女たちの見る夢は/夢見る頃を過ぎても/文学を殺したのはだあれ「わたしだわ」と大江健三郎がいった/今日の/世界は演劇によって再現されるか’94/ベストセラーの構造’94/何処へ―時評のさいごに
海燕という文学雑誌に掲載されていた文芸時評をまとめた書物。海燕って、まだあるんだろうか…廃刊になったんじゃなかったかしら。十数年前の書物です。
この中島梓さんという方は、栗本薫さんだそうです。(私はこっちの名前なら知ってた!)BLの先駆けとなった方です。以前この方の「コミュニケーション不全症候群」を読んだけれど、とても興味深かった。次は「美少年学入門」が読みたい。(笑)
とても読みやすいので大体ちゃんと読んだのだけれど、たまによくわからないところは流し読みしました。…だって、難しいんだもん。
文学の批評家や作家たちの言い争い(?)は恐ろしい。(苦笑)言及されていた批評家や作家の言い分を別の書物で読んでいたので、余計に恐かった。ほんとお互いにむちゃくちゃ悪口言い合ってるよ。
私は小中高生のように少女小説も読めば、BLも読むし、話題の小説も読むし、難しくてよくわからないような純文学作品を物知り顔で読んだりもするっていうよくわからない立場なため、読んでいて色々と複雑でした。
売れないし面白くないし何が言いたいんだかわからないと純文学に対して思うこともあれば、売れている小説を読んで文章が下手だとかストーリーがありきたりだとイライラすることもある。みんな芸術というものがわかってない!と講釈を垂れることもあるし、小説の技巧なんて関係なく伝わってくるものがあるんだ!と熱弁を振るうこともある。つまり私の小説に対するスタンスはむちゃくちゃだったりするわけです。そしてたまに「何様のつもり?」ってくらい傲慢になってしまう。だから漱石のように、学者先生と一般読者の両方の心をつかんだ作家は凄いと思うし、尊敬しています。(つかんでたんだよね…?)
でもこの場合「書けないくせにいちゃもんつけんな!」とか「それならお前が書いてみろ!」っていうのはまた別の話だと思う。作家になるっていうのはそーゆー批判をされるってことなんだから仕方ないでしょう?それが嫌なら作家になんかならないで、誰にも何も言われないところでひっそりと小説書いてればいいってことになるのだし…。
こうやって考えるとやはり文学の世界ってとことんキビシイ。
けれど意外に思ったのは、作家も批評家も意見が違うはずなのに同じことを言っているということだ。どちらも文学に対する愛は同じということなのだろうか。そう思うとちょっと顔がにやけてしまった。(笑)
売れる書物が優れているかといえばそうではないけれど、だからって売れないものが優れていても結局売れなければ消えていくばかりだ。でも売れるものだけを意識するがために文学が衰退していくというのもどうかと思う。ぐるぐる考え出すとほんとによくわからない。
どっちが正しいかとか、そもそも文学に正しいとか誤っているとかがあるのかとか、私にはわからないことだらけだ。いつもそこでぐるぐるしてしまって、小説ってなんなのだろうと頭を抱えてしまう。
でも今回この本を読んで、様々な立場の人からの意見を知っていくことで、新しく色々考えられるのだということにようやくたどり着けた気がする。(遅っ)答えの出る問題なのかはわからないけれど、自分なりに納得のいくまで考えてみようと思った。
この中島梓さんという方は、栗本薫さんだそうです。(私はこっちの名前なら知ってた!)BLの先駆けとなった方です。以前この方の「コミュニケーション不全症候群」を読んだけれど、とても興味深かった。次は「美少年学入門」が読みたい。(笑)
とても読みやすいので大体ちゃんと読んだのだけれど、たまによくわからないところは流し読みしました。…だって、難しいんだもん。
文学の批評家や作家たちの言い争い(?)は恐ろしい。(苦笑)言及されていた批評家や作家の言い分を別の書物で読んでいたので、余計に恐かった。ほんとお互いにむちゃくちゃ悪口言い合ってるよ。
私は小中高生のように少女小説も読めば、BLも読むし、話題の小説も読むし、難しくてよくわからないような純文学作品を物知り顔で読んだりもするっていうよくわからない立場なため、読んでいて色々と複雑でした。
売れないし面白くないし何が言いたいんだかわからないと純文学に対して思うこともあれば、売れている小説を読んで文章が下手だとかストーリーがありきたりだとイライラすることもある。みんな芸術というものがわかってない!と講釈を垂れることもあるし、小説の技巧なんて関係なく伝わってくるものがあるんだ!と熱弁を振るうこともある。つまり私の小説に対するスタンスはむちゃくちゃだったりするわけです。そしてたまに「何様のつもり?」ってくらい傲慢になってしまう。だから漱石のように、学者先生と一般読者の両方の心をつかんだ作家は凄いと思うし、尊敬しています。(つかんでたんだよね…?)
でもこの場合「書けないくせにいちゃもんつけんな!」とか「それならお前が書いてみろ!」っていうのはまた別の話だと思う。作家になるっていうのはそーゆー批判をされるってことなんだから仕方ないでしょう?それが嫌なら作家になんかならないで、誰にも何も言われないところでひっそりと小説書いてればいいってことになるのだし…。
こうやって考えるとやはり文学の世界ってとことんキビシイ。
けれど意外に思ったのは、作家も批評家も意見が違うはずなのに同じことを言っているということだ。どちらも文学に対する愛は同じということなのだろうか。そう思うとちょっと顔がにやけてしまった。(笑)
売れる書物が優れているかといえばそうではないけれど、だからって売れないものが優れていても結局売れなければ消えていくばかりだ。でも売れるものだけを意識するがために文学が衰退していくというのもどうかと思う。ぐるぐる考え出すとほんとによくわからない。
どっちが正しいかとか、そもそも文学に正しいとか誤っているとかがあるのかとか、私にはわからないことだらけだ。いつもそこでぐるぐるしてしまって、小説ってなんなのだろうと頭を抱えてしまう。
でも今回この本を読んで、様々な立場の人からの意見を知っていくことで、新しく色々考えられるのだということにようやくたどり着けた気がする。(遅っ)答えの出る問題なのかはわからないけれど、自分なりに納得のいくまで考えてみようと思った。
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